虐待すること 私の場合

私は小さい頃、両親が飲食店を経営していた為

ずっと妹とふたりで過ごしていました

お店は夜中の2時3時まで営業していたので

ものごころついたころから

晩御飯を食べるのも、夜寝るのも

ふたりだけでした

お店と住まいは近かったので

できた食事を届けてくれたり、

お店が暇なときは私達の様子を

見に来てくれたように思います。


でもとても寂しくて

学校から帰ってきた時、暗い家に入るのが嫌でした

お母さんがおやつを用意して

待っていてくれたらどんなに嬉しいだろう、と

いつも思っていました。

でも店と家事とに追われている母は

私達とゆっくり話すこともなく

いつもカリカリと怒っていました


2人きりで過ごしていた妹は

三歳下だったので

私がいつも面倒をみていました。

口数も少なくてやることが人よりおそくて

後からついてくる妹を連れて遊びに行くのが嫌でした

家で二人だけで過ごしているときに

何かあると妹の事をたたいたり

蹴ったりしていたように思います

妹は大人しく、いつも私の言うとおり従っていたので

ぶたれてもじっとだまっていました。


妹が中学生になりご飯を食べなくなっていきました

がりがりになり入院し「拒食症」と診断されました

リストカットをしたりいつ死ぬかわからない時期もありました

精神科とカウンセラーの所に通うようになり

小さい頃に寂しい思いをしていたこと

母親に優しくされなかったことが理由とのことでした


でもある日私はふと思ったんです

「私のせいだ。わたしの虐待のせいできっとあの子は拒食症になったんだ」

そこから私は自分を責め続けました

意地悪なひどい性格のわたし。だから虐待した。

そのことに向き合うのが嫌で

妹と話をすることを避けました

心を開いて話すこともありませんでした。

妹は大人になり良い人と出会い結婚します。

それからは年に一回会うか会わないかの関係になっていきました


そして私は自分の家庭の問題を解決しようと

心屋仁之助のもとで心の事を学ぶことになります。

その時にぢんさんから


◎本当の自分を生きていない人が虐待をする

◎虐待をさせるために子供(妹)は生まれてきてくれた


ということを知ります

私はそのことを読んだとき

信じられませんでした。

子供(妹)をたたく、ぶつ、ける。

弱いもの、反抗出来ない者をいじめていいはずがない

そんな卑怯なやつ(私)が許されていいはずない

と思いました。

でもその反面すごくほっとしました

よかったんだ

わたし許されてもいいんだ

こんなわたしでもいいんだ

そう思って力がぬけたようになったのを覚えています

救われました


そこから暫くして

勇気を出して、私は妹に


小さい頃叩いてごめんね

優しくしてあげれなくてごめんね

2人きりの姉妹だったのに相談にのれなくてごめんね


と謝りました

妹は小さく笑って

「仕方ないよ私はずっとあっちゃんの足手まといだったから

でも嫌われてると思ってたから嬉しい」と言いました


ぢんさんの言葉で救われた私が

妹の言葉でさらに心が軽くなりました。


ひとはいろんな闇をかかえて生きています

人に言えること言えないこと

でもそれでもまるごとそのままで

素晴らしい存在だ

愛される存在なのだと

理解することで幸せになっていきます

幸せになってはいけない人はいません


長くなりました

今日もここに訪ねてくださってありがとう♥


DRAAK ziel

このサイトを訪れてくださってありがとうございます。レイキヒーラーのあつこです。私の思う心のことやしくみ、日々の暮らし、好きなこと、嫌いなこと。徒然に綴っていきたいと思います。オランダ語でDRAAKは龍、zielは魂のこと。わたしのレイキを助けてくれるドラゴンに因んだタイトルです。よろしくお願いします

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